セイゴオちゃんねる

会社概要

  • 2011-現在
  • 2001-2010
  • 1991-2000
  • 1971-1990
YEAR
PROJECT

2000-現在

千夜千冊

古今東西のあらゆるジャンルを網羅する空前絶後のブックナビゲーション。2000年2月に中谷宇吉郎の『雪』からスタート、2004年7月に『良寛全集』で1000冊を達成。その後も更新し続け、2012年10月現在1485冊を突破。ジャンルの広さはもちろんのこと、1冊ごとに表現もスタイルも変えていく松岡正剛の方法の多様性が反響を呼び、月間100万アクセス(ページビュー)を誇る。

500冊を達成した2002年3月には記念トークを開催。1000冊達成記念イベント「これでだめなら日本は闇よ」では「千夜千冊」にとりあげた著者や田中泯・本條秀太郎・坂田明らとコラボレーション、司会はいとうせいこう。
◎千夜千冊・放埓篇 第1夜~第1144夜(~2006年5月)
◎千夜千冊・遊蕩篇 第1145夜~第1329夜(~2009年11月)
◎千夜千冊・連環編 第1330夜~
◎千夜千冊・番外録 第1405夜
 *東日本大震災を機にスタートしたシリーズ
◎千夜千冊・意表篇/思構篇/分理篇 第1467夜~


千夜千冊記念イベント「これでだめなら日本は闇よ」

2000-2001

茶道文化を映像化する(NHK番組など)

松岡正剛は日本文化研究の第一人者として、さまざまな美術番組の企画監修や特別出演もしてきた。近年は茶道や茶人をテーマとした番組の相談も多く、特別番組「織部のロマン」(96)、「よみがえる上田宗箇の世界」(2000)、「新日曜美術館・大名茶人小堀遠州の世界」(2001)、「国宝探訪・流転の名席・茶席如庵」(2001)などを監修するとともに、ナビゲーターとして出演した。

2000-現在

ISIS編集学校

世界で初めて、インターネット上に開校した編集の学校。「守・破・離」の3つのコースで、松岡正剛の編集術を基礎から応用まで、着実にマスターできるカリキュラム=編集稽古を開発。10~15人ごとに「教室」をつくり、「師範代」「師範」(編集コーチ)が、懇切丁寧な指導にあたる。開校以来、企業人から学生、主婦にいたるまで、多様な人々が入学し、マスコミやメディアでも取り上げられ、大きな話題となった。もちろん、松岡自らも「校長」として、指導にあたっている。また編集コーチ育成のための「ISIS花伝所」も創設。200人近い師範・師範代がさまざまな企業塾などでも活躍している。
 2008年、新たに専門コース[遊]を開講。2009年には企業を対象とした[業]、入門コース[序]を開講。


左/編集学校チラシ 右/花伝所ポスター

上/感門之盟 下左/花伝所入伝式 下右/「離」退院式

1999-2001

密教21フォーラム

松岡正剛は、真言宗の僧侶たちのネットワーク組織「密教21フォーラム」を、設立当初から監修。99年からは「母なる空海」構想を展開、第一弾として、杉浦康平・夢枕獏・里中満智子・内海清美氏らをゲストとするオープンフォーラム「六塵ことごとく文字」を開催。2001年には、草月ホールで「五大にみな響きあり」を開催。松長有慶・牧宥恵・藤原新也氏らがゲスト出演し、炎太鼓と声明のコラボレーションが感動を呼んだ。その後、空海デジタルアーカイブの構築にむけて、さらなるプロジェクトを推進。

1998-2000

ISIS編集の国

「関係の発見」と「方法の冒険」をエンタテイメントにするバーチャルカントリーを電子ネットワーク上につくる壮大な実験プロジェクト。この国ではすべてのユーザーはクリエイターと呼ばれ、さまざまなサービスメニューを通して編集力を競い、相互編集コミュニケーションを楽しむ。また、こうして蓄積される「知財」に対して投資や売買のための仕組みを用意し、最終的には「知の相場」を形成することをめざす。資生堂、ソニー・ミュージック・エンタテインメント、凸版印刷、NTTドコモ、アコム、日立ソフトなどの「建国の父」たちの出資により、2000年1月に開国、10月まで数々の実験を行い、多くの反響を呼んだ。

この実験の成果は、現在松岡正剛が構想中の「ISIS図書街」へと発展。


ISIS画面より、セイゴオ・ブックOS

1998-2000

教育ソフト「カプタリウム」

98年から99年にかけて、子供たちの情報編集能力を高めるための教育ソフト「2+1」を開発、99年に東大付属小学校および慶応幼稚舎などで実験事業を実施した。その成果に着目した郵政省からの予算を得て、「カプタリウム」という名称でさらに開発を進め、2002年から始まった総合学習のための教育ソフトとして発表。全国の公立・私立の小・中・高校で実験授業を行った。

1998-2001

歴象航行型教育学習システム「CRONOS」

「関係性の発見」という新しい歴史観を提案した『情報の歴史』の構造を生かし、慶応大学と共同で、次世代型のデータベース(クロノロジカル・データベース)および検索システムを開発。2000年からは、慶応幼稚舎、灘校など、全国の小・中・高校においてクロノスを利用した総合学習や情報学習の実験授業を展開、教育関係者や教育ビジネス企業の注目を集めた。

1997-2000

桑沢デザイン塾「日本文化とデザイン」

内田繁塾頭によって、97年よりスタート。初年度は松岡正剛の講義に加え、小林達雄・田中貴子・高橋秀元・田中優子・柏木博各氏を講師に迎え、全7回を監修。続く98年は、松岡正剛のソロの講義を全7回実施、古代の器物幻想から、江戸のバサラ・カブキまで、映像資料を駆使した渾身の語りが反響を呼んだ。さらに2000年は、明治に生きた人物を取り上げながら、近代日本の思想と文化の流れを独自の構想によって語る、感動的な講義を展開した。

1998

花鳥風月型連想検索システム「The MIYAKO」

伝統文化情報をデジタルアーカイブ化する京都市のプロジェクト。松岡正剛の構想によって、花鳥風月型連想データベースを京都の空間構造上に展開し、ハイパーリンクを次々と起こす独自のシステムを開発、話題を呼んだ。以降、このアーカイブのシステムをつかって、北海道・沖縄・岐阜県など各地で地域情報データベース開発を展開。

1998

色っぽい人々

87年より、松岡正剛が10年にわたり20人のクリエイターたちと色をめぐる対談をしてきた、日本ペイントPR誌「可視光」の連載「セイゴオ・カラローグ」を、1冊の本にまとめた。登場ゲストは、山口小夜子、ワダエミ、辻村ジュサブロー、藤原新也、安藤忠雄、樂吉左衞門、ツトムヤマシタ、杉浦康平、阿木耀子、石岡瑛子、中村吉右衛門、萩尾望都、島田雅彦、美輪明宏ほか。松岡はホストとして、日本の現在を象徴する格別な顔ぶれのそれぞれの創造の秘密を絶妙に引き出している。全ページオールカラー、図版230点も収録。

1997-2009

ときの探訪

松岡正剛が監修、JR東海提供、CBC(中部放送)で放映された番組。東海三県およびJR東海沿線のさまざまな伝統文化や芸能、工芸、祭、歴史人物などを日本人の感性やイメージの起源に迫る視点で紹介。2分30秒というミニ番組ながら、充実した映像と情報量の番組として、毎回15%を超える高視聴率を獲得。

1996-1997

「システム花鳥風月」「お祭りニッポン」

松岡正剛の日本文化研究の成果を生かし、編集工学研が開発したマルチメディアソフト。「システム花鳥風月」は、デスクトップメタファーに変わるインターフェースとして「桂離宮」の構造を使い、従来の意味のリンクではない、日本文化モデルによる情報のリンクによって、イメージをキャナライズ(運河化)していくというもの。

「お祭りニッポン」は、祭は日本文化のマルチメディアスクリーンであるという松岡正剛の考え方に基づき、祭の多様な意匠などを入口として、イメージのリンクを楽しむことのできるツール。NTTデータのマルチメディア・デモソフトとして開発した。

左/花鳥風月システム
お祭りニッポン
右/EE Image Canalizer
システム花鳥風月

1996

マインドスケープ・ミュージアム

世界で初めての、「心」をテーマとする岡崎市のミュージアム。松岡正剛は、エグゼクティブ・ディレクターとして、ミュージアムのソフトのすべてを統括した。家康ゆかりの地である岡崎市の歴史性を世界の美術と結ぶ視点として、「東と西の出会い」「16.5世紀」をサブテーマとし、オープニング企画展では「天使と天女」展を実施。夕方から始まるオープニングセレモニーとともに、編集工学を駆使した展示企画手法が、海外の美術館界でも話題となった。

1996-1998

ネットワーク・イン「電子の放談」「ダーウィン・ダウンロード」「エレクトロニックキャバレー・複雑系」

ニフティ・ネットワーク・コミュニティ研究会の成果を披露する場として、3年間開催。松岡正剛・金子郁容がモデレーターをつとめた。毎回、研究者、アーティスト、伝統芸能人、タレント、スポーツ選手など、30人を超える多彩なゲストがつぎつぎに登場し、研究発表や対談、芸談や実演を披露。その模様を同時編集しインターネットにのせることによって、電子社会がどのように文化を生み出しうるかを、立体的に見せるシンポジウムとして、大きな反響を呼んだ。

1997-2007

織部賞

オリベプロジェクトのパイロット事業として、ジャンルも国籍も問わず勇気ある創造的活動をたたえることを目的として制定された国際賞。松岡正剛が総合プロデューサーをつとめ、97年に第1回を実施、以降隔年で実施している。受賞者の選考は、磯崎新氏を委員長とする、石井幹子、内田繁、加藤卓夫、熊倉功夫、坂根厳夫、日比野克彦、アンドレア・ブランヅィ、松岡正剛の9人の選考委員会。受賞者の顔ぶれのユニークさとともに、毎回新しくデザインされるトロフィーや、祝祭空間として類のない授賞式の演出構成が、話題を呼んだ。第1回~第6回の受賞者は次のとおり。
◆第1回織部賞(97年):グランプリ=エットレ・ソットサス、織部賞
 =押井守、蔡国強、ジョン・ガリアーノ、スウォッチ、野村万之丞、樂吉左衞門(岐阜市未来会館で授賞式開催)
◆第2回織部賞(99年):グランプリ=中川幸夫、織部賞=荒木経惟、石山修武、矢野顕子、カッシーナ、土取利行・桃山晴衣(土岐市文化プラザホールで授賞式開催)
◆第3回織部賞(2001年):グランプリ=大野一雄、織部賞=石山篤、井上ひさし、鯉江良二、津村耕佑、ロン・アラッド(高山市飛騨芸術堂で授賞式開催)
◆第4回織部賞(2003年):グランプリ=鈴木清順、織部賞=内藤廣、森村泰昌、インゴ・マウラー、無印良品、加藤孝造(大垣市ソフトピアジャパンで授賞式開催)
◆第5回織部賞(2005年):グランプリ=水木しげる、織部賞=杉浦康平、ジェフリー・ショー、山下洋輔、深澤直人、加藤卓男(岐阜市未来会館で授賞式開催)
◆第6回織部賞(2007年):グランプリ=ワダエミ、織部賞=岩井俊雄、林屋晴三、高橋睦郎、山田脩二(岐阜市未来会館で授賞式開催)

1994-2007

The ORIBE Project

岐阜県に生まれた茶人古田織部の革新の精神に学び、地域の産業文化振興をおこしていく長期プロジェクト。松岡正剛が総合プロデューサーとして全事業の推進にかかわっている。国際的な「織部賞」の制定発表、特別展覧会、オリベブランドおこしなどのパイロットプロジェクトをかわきりに、数々のイベント展開や、商品開発、さらには市町村における拠点づくり(多治見市オリベストリートほか)、地域情報化システム構築などを推進した。

1994-1998

ボランタリー・エコノミー研究会

元東京海上研究所理事の下河辺淳氏・慶応大学の金子郁容教授とともに、自発的意志によって成立する経済システム、すなわち「ボランタリー経済」について研究会を発足。野沢 温泉郷、桐生、長浜などを視察し、日本型経済モデルの抽出と分析を行った。その成果を98年に『ボランタリー経済の誕生』(実業の日本社)として出版した。

1992-2000

資生堂ミネルヴァ塾・文化伝承塾

福原社長の企業文化戦略と、松岡正剛の知識編集のノウハウおよびプログラムを完全に融合させながら実施した資生堂の企業文化研修会。部門長を対象とした「ミネルヴァ塾」、若手リーダーを対象にした「文化伝承塾」を計8年間実施した。ゲスト講師として、下河辺淳、岩田慶治、 中村雄二郎、川勝平太ほか、ゲストアーチストとして安藤忠雄、石岡瑛子、三宅一生、坂田栄一郎。藤本晴美が演出を、いとうせいこうが専任講師を担当。

1992-1994

平安建都1200年「伝統と創生」フォーラム

3回のプレフォーラム(知恩院・祇園歌舞練場・本能小学校で開催)と、京都国立国際会館におけるグランドフォーラムを実施。松岡正剛は企画委員兼総合ディレクターとして、「もてなし・ふるまい・しつらい」を全体コンセプトに設定、各フォーラムセッションの構成および会場演出を担った。95年には全フォーラムを採録した集大成本を企画編集、淡交社から刊行された。

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