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2022.06.25 NEWS

NEWS セイゴオ文のインビテーションでヨウジのパリコレ開催

6月23日(木)、南青山のYOHJI YAMAMOTO本店で、2023春夏パリメンズコレクションのショーが開催されました。ショーに先立って、招待者にはインビテーションカードとともに、なんとセイゴオが耀司さんの展覧会のために書いたエッセイがプリントされたトートバッグが送られました。

 

 

トートバッグは二種類、白い英語版がシーティングのお客様用、黒い日本語版がスタンディングのお客様用。英語では「Japan today is shit」(いま日本はクソである)の一文がひときわ大きくプリントされていて、耀司さんとセイゴオの共闘ぶりがうかがえます。

 

 

もちろんセイゴオも、お気に入りのYOHJIのジャケットとパンツを装着し、ショーに駆けつけました。会場は、ふだんはメンズの売り場となっている地下1Fの特設スペース。YOHJIブラックに身を包んだ来場者とスタッフが会場を埋め尽くしていくなか、セイゴオはランウェイ横の最前列の特等席に着席。

 

今年2月に、やはり同じ場所で開催された2022-23年秋冬コレクションのショーでは、モデルたちに混じって登場した俳優の松重豊さんの伊達男ぶりや、ポーランドのアーティストの作品やユーモアあふれるフレーズがステッチされたコートなどが話題になりました。セイゴオはこのショーにも招待され、耀司さんが一着一着に込めたメッセージはもちろんのこと、ショーの演出からモデル全員に施された“ゾンビメイク”まで、すっかり堪能していました。

 

今回のショーでも若手とともに遠藤憲一さんや大沢たかおさんなど燻し銀の俳優がモデルに起用され、「十十無尽」や「心しずかに」といった日本語が奔放にあしらわれたジャケットやコート、夏の花火のような驚くほど多色づかいのセットアップなど全43体がランウェイに次々登場。千夜千冊1800夜の『ヴィジョナリーズ』のなかで耀司さんを取り上げたばかりのセイゴオも、改めて「男を男にさせるタブー嫌いのYOHJI」に感応していました。

 

(動画)YOHJI YAMAMOTO pour homme S/S2023 Show Footage

 

ショーのあとはモデルや俳優たちでごった返す楽屋を訪ね、大仕事を終えて満面の笑みを浮かべる耀司さんと固い握手を交わしました。「そろそろ耀司さんのために百人一首を編まなくちゃね」。そう語るセイゴオも、ショーの高揚感を満面に湛えていました。

 

 

 

 

文・写真:太田香保 バッグ撮影:寺平賢司

 

◇インビテーション・バッグに使われたセイゴオの原稿

 

ぼくとヨウジはヘビースモーカーで、敗戦とともに生まれた同い歳で、何かを交わさないと通じないなんてことは一度もない仲だ。それでもときには一期一会をすることがある。

 

ある夜、西麻布の半地下レストランで旨いトマトをほうばりながら、ヨウジが「絵を描きたいんだ、ガキみたいにね」と言った。展覧会にするらしい。ふうん、そうか。羨ましい意欲だ。そのうち「展覧会のタイトルね、松岡正剛が決めるんだ」と付け加えた。急に何かがピンときたが、レイヤードの話や『影向』の話をした。

 

レイヤードはヨウジの最近の服づくりのコンセプトのひとつ、ぼくのお気にいりだった。『影向』は田中泯と宮沢りえと石原淋に、ぼくが選んだ短い言葉でフレイジ―ダンスを踊ってもらった舞台のことだ。その舞台ではたくさんの本が出入りするようにした。衣裳はヨウジに任せ、ついでにアタマとオシリに出てきてもらった。ぼくは「本も服も着脱自由なものなんだ」と説明した。本のような衣裳が選ばれた。

 

ずっと前からヨウジはどこかアナーキーなものをひそませていた。だから何事にも媚びていない男だった。ぼくは、そういうヨウジこそ「日本」であってほしかった。すでにヨウジの黒は長次郎や織部の「引き出し黒」に近いものだったが、そこにハイな日本やガキな日本や不良な日本がくっついてもよかった。そう思っているうちに、そうなってきた。

 

いま日本はクソである。多くの質が劣化して、職人が後裔にあとずさっている。こんなインチキ日本はつまらない。お笑いしてばかりで、どうするか。コメントばかりして、どうなるか。もっと荒々しくて流麗で、アラハバキのようでタマヨリヒメのような、沈潜するから逆上するような、そんなアートな日本が歩き出すべきなのである。「画機」が二つの「画」と「機」になって、その両端の決意を見せてくれるにちがいない。

(山本耀司展覧会のためのエッセイ「画機の出現」より抜粋されたもの)

 

Both heavy smokers, both born around the time of the defeat, Yohji and I are the kind of friends who understand each other without exchanging a word. But even for us there are incidents that come out of nowhere.

 

One night, as we stuffed ourselves with tomatoes at a half-underground restaurant in Nishi-Azabu, Yohji said, “I want to make pictures – like a gaki.” It seemed he was going to do an exhibition. Well then. An admirable ambition. And then he added, “And the exhibition title will be decided by you, Seigow Matsuoka.”

 

Something sprang to mind, but I first talked about “layered” and phrasey dance – yowgow. “Layered” is a concept Yohji has been using in his recent designs. I’m quite taken by it. yowgow is a performance in which Min Tanaka, Rie Miyazawa and Rin Ishihara did “phrasey dances” in response to short passages of text read by me. All kinds of books made appearances in the performance. We left the costumes to Yohji, and in the event he came out for the opening and final curtains. Both books and clothes can be freely taken on and off, I had explained. He chose bookish costumes.

 

From the start, Yohji was always the kind of man who is a bit anarchic and never sucks up to anybody. I wanted that Yohji to be “Japan” itself. At the time Yohji’s black was already on the level of Chojiro’s and Oribe’s hikidashi-guro (pulled black) firing technique, but it could also allow for the high Japan and the juvenile Japan and the delinquent Japan. It worked out just as I hoped.

 

Japan today is shit. The quality has deteriorated, and the artisans are spurned by their successors. This phony Japan is a drag. We need a Japan of rougher elegance, a Japan of art like Arahabaki, or like Tamayori-hime, which bursts into a frenzy after deep contemplation. Surely, the “Ga-Ki” will split into a “picture” and a “machine,”to show the determination of both.